紹介
 
 

觀音禪寺のある稲田村一帯は江戸時代中期から明治にかけて桃の産地として広く知られていました。花の盛りには近村はもとより大坂からも粋人墨客たちが川舟などを利用して集まってきて、川岸には茶店も出るにぎわいぶりであったと地誌は伝えています。

この稲田桃は、普通の桃と少し違った種類で、種は紅色で先がとがり、果実は小型で非常に甘く、食用として、また災厄除けのお守りとして人気がありました。特産物として、近村だけでなく、天満の青物市場へ舟で出荷されていたということです。この名物の桃も明治18年の大洪水で水づかりのため大半が枯死、生産がふるわなくなりました。


 
       
             
   

明治末、稲田桃の苗二十本がアメリカの農業試験場へ送られ、アメリカ種と交配。四、五年後日本に里帰りして、岡山での新品種、水蜜桃誕生に大いに役立ちました。その後農村不況や宅地開発などで、桃の木はすっかり姿を消してしまいました。

戦後、稲田桃探しが始まりますが、幸いにも原種桃が農家に二株、そしてこの觀音禪寺境内に残っていたのです。東大阪市教育委員会では、これを市の天然記念物として登録、昔の桃畑の面影を後生に伝えようとしています。

ちなみに千里(大阪府吹田市)の桃山台という地名はそこへ稲田桃を植えたことに由来するとか。

 
             

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