紹介
 

仮名草子作者としても知られる鈴木正三を開基とする、かつての桃源郷の面影を偲ぶ曹洞宗の寺

圓通山救世院觀音禪寺は、妙心寺二世授翁宗弼禅師と大内義弘との協力で建立された大伽藍でしたが、兵火に遭い焼失。のちに村人が大松の根元より掘り出したという聖観世音菩薩を本尊とし、慶安元年(1648)に上方代官(のちの初代天草代官)の鈴木三郎九郎重成を施主に再興。実兄石平道人鈴木正三を開基とします。正三は門人五十余員ありましたが、衆中の長老の不三が正三の在世中より住し、師の禅風を伝えました。

鈴木正三が出家する前、旗本として徳川家に仕えていたことから徳川家への報恩により、徳川大将軍三代(家康、秀忠、家光)をおまつりしております。このことは、萬治元年(1658)に不三が記した古文書に残されてあります。この古文書は、寺の再興の記述のあと五ヶ條の家訓があり、その最初に徳川大将軍三代諷経(ふぎん)の記述があることから、徳川家をおまつりするために再興されたともうけとれます。

安産に霊験著しく、美濃岩村城主丹羽式部少輔氏定の妻が当聖観世音菩薩に祈願し男児を出産。報恩のため唐金の涅槃像・涅槃図(節分会から春季彼岸の中日まで御覧いただけます。)と梵鐘などを寄進、境内に桃の木千数百本を植樹しました。この桃が有名な稲田桃の起こりと伝えられています。尚この本尊聖観世音菩薩は秘仏のため、ふだん菊の御紋のついた御厨子におさめられ開扉されることはありません。

ご詠歌

やちよふる まつのねもとに うずもれし

   ほとけのりやく あらたなりけり

 
     
         

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